有機ELの世界に
活路を見出した
先達の意思を継いで
未来を切り拓く。

  • 先進マテリアルカンパニー電子材料部
    M. FUNAHASHI

出光興産は1985年に有機ELの研究開発をスタートし、1997年には青色発光で世界トップクラスの実用性能をもつ有機EL材料の開発に成功。当社の青色は、現在“Idemitsuブルー”として国内外で評価されている。
電子材料部において有機EL材料の開発に従事し、青色有機ELの性能向上に尽力し新たな市場を形成してきた電子材料開発担当者にインタビューを行った。

INTERVIEW POINT

1993年入社。大学・大学院にて有機合成化学を専攻。入社後は中央研究所・光電子材料グループに配属、強誘電性液晶材料の開発を担当。1997年から青色有機EL材料開発を担当、並行して出展用のフルカラー有機ELテレビ作製に従事。その後、青色有機ELに使用する材料、それらを用いた有機EL素子にて性能向上を確認、2002年に有機EL素子及び有機発光媒体に関する特許出願。2009年、有機EL 討論会業績賞を受賞。2018年、松浦 正英・福岡 賢一とともに「恩賜発明賞」受賞。2024年春の褒章にて紫綬褒章を受章。

有機合成という
専門分野を生かして
電子材料の開発で
実績を上げてきた。

長年にわたって研究開発に取り組み、遂に褒章の栄誉に輝く

令和6年春の褒章で舟橋は「高効率かつ長寿命の青色有機EL発光素子の開発」により紫綬褒章を受章した。紫綬褒章は、学術芸術上の発明改良創作に関して事績の著しい者に与えられる。
「青色有機EL素子の発明によって松浦氏、福岡氏とともに『恩賜発明賞』を受賞したのは2018年のことでした。そしてこの度、紫綬褒章受章という栄誉に浴することができました。これは私一人の力ではなく、たくさんの人たちの協力があってのことです。本当に光栄だと思いますし、ありがたいことだと思っています」
入社4年目に有機EL担当になって以来30年近く、有機EL開発一筋に邁進してきた。しかし、石油元売の新しい柱となりうる事業を開拓し、結果を出すまでの道のりは決して平坦ではなかった。



有機ELとは

事業としての成果が求められる厳しい日々のはじまり

「日本経済がまだ高度成長期にあった頃、当社では数十年後を見据え、石油以外の新事業を模索し、研究所でさまざまなテーマを検討していました。その中で、有機化合物である石油に関連したテーマの1つとして、電子材料が選ばれました」
出光興産が有機EL材料の開発を始めたのは1985年。当時は物理、化学各分野のエキスパートが集まり、研究所はさながら梁山泊のようだったという。しかし、時代とともに状況は一変する。
「私が入社した1993年は、まさにバブル崩壊の足音が聞こえてきた頃。配属された中央研究所の各テーマも整理検討の俎上にあげられるところでした。会社の経営状況が悪化し不安が募るなか、開発メンバー全員が集められ、定期的に合宿を行っていました。研修の主題は『どうやって利益を得るのか』。電子材料分野を推進する幹部から厳しい意見が多々あり、精神的につらかったことを覚えています」

有機ELテレビを
世界に先駆けて
実現したことが
起死回生の一手に。

チームの力で困難を打破し、世界的な評価を得る

1997年、液晶材料開発から有機ELに担当テーマが変わったことが転機となった。業務内容は青色発光材料開発と、出展用のフルカラー有機ELテレビの作製。
「4月に職務が変更になってすぐに、フルカラー有機ELテレビの作製が始まりました。私は基板作製の担当で、クリーンルームやフォトリソ装置など初めてのことばかりでしたが、先輩社員に指導を受けてなんとかやり遂げて。有機EL素子作製から回路実装までは、みんなで励ましあってパネル作製を進め、作業は連日深夜にまで及びました」
出展する展示会は7月に東京で開催されたが、フルカラー有機ELテレビが完成したのはその数日前だった。
会場では、暗幕で覆われた中に5インチの有機ELディスプレイを展示。ひと目見ようとする人で長い行列ができた。用意したパンフレットは足りなくなり、急遽コピーで追加するなど、反響の大きさが肌で感じられた。
「電機メーカーではなく、石油会社が、世界初のフルカラー有機ELテレビを作ったことで大きな話題になりました。有機ELがほとんど世に知られていない中、一足飛びにテレビの可能性を示したわけです」
フルカラー有機ELテレビの発表は成功裏に終わり、次に本業である青色発光材料の開発に取り掛かった。

本物の青色を
ひたすら追求し続け
試行錯誤ののちに
手にした喜び。

青色の完成に向けてトライ・アンド・エラーの日々

「フルカラー有機ELテレビは作ったものの、青色の効率・性能の向上は依然、課題として残っていました」
カラーディスプレイは赤・緑・青の3原色で構成されるが、青色の有機材料開発に成功した研究グループは当時まだ存在しなかった。
「青色がなぜ難しいかというと、赤や緑に比べて発光に高エネルギーが必要になるためで、長期間光らせ続けられる有機材料がそれまでありませんでした」
出光興産が作り出した青色は一定の評価を得ていたが、それでも「青」というよりは「水色」、彩度が足りなかった。
「1つの材料だけでは発光が長く持たないので、当社では2つの材料を使って青色を作っています。その組み合わせを検討するため、100種類以上もの材料を用意し、トライ・アンド・エラーを繰り返しました。そのうち徐々に仮説通りの結果を得ることができるようになりました」
試行錯誤の末に青色有機EL に使用する材料の組み合せの基本概念を導きだし、性能向上を確認することができるまでに約5年もの年月を要し、特許出願に至ったのは2002年のことだった。

ついに青色有機材料が実用化、有機ELテレビ発売へ

「青色有機ELの基本コンセプトができたことで、これで取引先の要望に応えることができる、と達成感を覚えました。その後も高性能化にむけた青色材料の新規開発を進め、それまでにも電機メーカーに持っていって評価していただいていましたが、ようやく『これならいける』という確信が持てました」
2007年には、出光興産の青色有機EL材料を採用した国内メーカーから、世界初の11インチ有機ELテレビが発売された。
「自分が開発した材料を使った製品が世に出たことは本当に嬉しかったですね。電子材料や医薬品は、1つの材料で効果を発揮しますが、それはものすごい倍率の中で生き残った1つ。選ばれしものです。ですから製品に採用されたことは家族にも誇れると思い、展示会に息子を連れていったこともあります」
さらに2010年代には海外メーカーで有機EL大型テレビの開発が始まり、2013年には55インチ有機ELテレビが発売された。

グローバルに展開する
青色有機EL材料
「Idemitsuブルー」が
描き出す未来とは。

有機ELの今後と、次世代とともに切り拓く未来

出光興産が発明した青色有機EL材料は、ディスプレイの再現性を飛躍的に高め、“Idemitsuブルー”として世界中に認知されるようになった。ところで、有機ELはテレビのほかに今後どのような用途が考えられるのだろうか。


有機ELは、テレビやスマホ、タブレットといった表示機器としての用途以外にもいろいろ考えられると思います。パネルを曲げられる特徴をいかしたサイネージやネオンが増えてくるでしょう。また、車のパネルなど車載機器も検討されていますが、耐久性が大きな課題です。スマホなどに比べて長い商品寿命が求められ、安全性にも関わるため、今にも増して高効率・長寿命が求められます」
2023年、出光興産は韓国に先進マテリアル事業の会社を設立、研究開発の加速とマーケティング体制の強化を目指している。
「新会社の研究開発部署には韓国人の若者たちが入社してきています。当社の流儀を伝えるだけでなく、彼らの知見を生かした現地流の方法を切り拓いて欲しいですね。そして、私自身もそこに貢献し、関わっていきたいと思います」

ANOTHER STORY

有機ELの黎明期から約30年を経た今、
研究員の働き方はどのように変わってきたのか

青色有機EL材料のトライ・アンド・エラーを繰り返していた頃のこと。「自分で文献を調べ、データを見て、仮説を立てて検証を進めていきます。当時は人が少なかったこともあり、仕事の分担もできず、昼夜を問わずひたすら取り組んでいましたね」結果が出ない時は研究所近くの独身寮に戻り、仲間たちと仕事以外の話をすることで気分転換を図っていたとか。「現在ではさまざまなキャリアを持つ人がチームを組み、個々の知見を生かして開発を進めています。計算化学が進歩し、材料や素子設計も高度化し、開発スピードも以前に比べてとても早くなりました」